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第3章 僕は懲戒解雇で兄は失明?に戻る

 

 

朝起きると母からの着信がスマホに入っていました。
折り返し電話すると待っていたかのように母がでました。

 

 

泣きながら「お父さんが脳出血で倒れて救急車で運ばれたよ」と・・・

 

 

3ヶ月前に東京にいる僕のところに遊びにきて一緒に飲んだ父が?
毎年僕の部屋を母と一緒に掃除してくれて「元気でな」と笑顔で戻っていった父が?

 

 

脳出血という重病のイメージが強い病名のせいで絶望
したものです。

 

 

しかし、次の母の言葉で楽になりました。

 

 

意識はあり話ことはできていたのです。

 

 

よかった・・・。

 

 

命に別状はないんだなと安心しました。
40年を生きてきてあれほど安心したのは初めてでしたね。

 

 

この時は医師からもリハビリも含めて2ヶ月程度の入院は
必要だが、元のように歩けるようになる可能性が高いと説明
を受けていたのです。

 

 

ところがある日母からのメールで父が傾眠状態になってい
ると知らせがあったのです。

 

 

意識が混濁しているということですね。

 

 

当然、食事をとることもできないのです。
数日たってから急遽病院に見舞いにいきました。

 

 

集中治療室に入ると元気な頃からは想像もできない
父の姿がありました。

 

 

声をかけても反応しない、時々目をあけますが焦点
があってないのです。

 

 

ただ最初に僕が入って手を握ると「おー」と穏やかな
笑顔で答えてくれました。

 

 

違うのかもしれませんが、僕にはそう見えたのです。

 

 

数時間は父のところににいましたが、仕事があるため
ずっと側にはいられません。

 

 

結局その日のうちに東京に戻りました。

 

 

大切な父の一大事なのに側にいられないなんて・・・
飛行機の中で不覚にも泣いてしまって隣の女性に「大丈夫ですか」と声をかけられました。

 

 

それからは仕事の合間を見て母をメールで励ましたり、
状況を聞く日々が始まりました。

 

 

悪いことに日に日に父の容態は悪くなっていったのです。

 

 

僕が見舞いに行ってから1週間で左半身が動かなくなって、
たまに返事をしていた母からの呼びかけにも反応しなくなっ
ていったのです。

 

 

母の「生きていてくれるだけでいい」という言葉が
胸に突き刺さりました。

 

 

家族がこんな状態なのに側にいられない、僕のピンチの
時に助けてくれたのに自分は何もできない・・・

 

 

こんな力のない自分を呪いましたね。
できる限り早くまた帰郷しようと考えていました。

 

 

しかし倒れてから3週間後に兄から職場に電話が
かかってきました。

 

 

父が脳梗塞を併発して、1週間が山だから戻ってくるようにと・・

 

 

その日は病院の面会時間も終わってしまっていたため、
家に泊まり翌朝面会に行きました。

 

 

そこには全く動かない父の姿があり、見た瞬間に号泣
してしまいました。

 

 

夜まで側にいて大丈夫そうだったので帰宅しましたが2時間
もしないうちに病院から連絡があったのです。

 

 

父の酸素濃度が低下して危ないというものでした。

 

 

母と病院に急いでかけつけたのですが、既に父は亡くなっていました。

 

 

あんなに泣き叫ぶ母を初めて見ましたね。
僕が見舞いに行ったその日に父は亡くなってしまったのです。

 

 

通夜、告別式、初七日を済ませるとまた東京に戻りました

 

 

明るく振る舞っているけど母の落ち込みは相当な
ものだったと思います。

 

 

でも仕事のために側にいてあげられない力のない自分・・・・。

 

 

会社に行かなくても稼げる方法があればと考えてネットを検索
しているとアフィリエイトを見つけたのです

 

 

第5章 雇用されずに生活したい

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