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第2章 イジメられた転校後に戻る

 

 

大学を卒業してからは就職活動もロクにせずに数年ニート
状態が続いてしましたが、ついに就職が決まりました。

 

 

しかも東証一部上場の会社です。
両親も兄も喜んでくれてましたね。

 

 

勤務地は関東だったので北海道から離れることになっ
てしまいました。

 

 

当然、両親や兄とも離れてくらすことになります。

 

 

でも小学校の転校の時のような不安はありませんでした。

 

 

身体が大きくなった私は小学校以来はイジメられること
もなく、部活では主将を務めていたのです。

 

 

会社に入社してから研修に入りました。

 

 

同期も5人いて、すぐに打ち解けることができました。
IT系の会社だったので、2ヶ月くらいは研修としてプログラム
の勉強をしていました。

 

 

同期の進捗状況をまとめて報告するなどリーダーも自ら
立候補してやっていましたね。

 

 

だけどこの頃から問題がでてきました。

 

 

研修中に理解度を確認するテストをするのですが、点数
が悪かったのです。

 

 

報告に行くたびに講師に怒られる日々が続きました。

 

 

何とかしようと土日も勉強していたのを覚えています。

 

 

それでも大きな改善にはいたらずに僕は最悪の
行動をとります。

 

 

母が病気のため介護が必要だと
会社に嘘の報告をして、1ヶ月程度の休み
をもらったのです。

 

 

家族には転勤で地元に戻ることになったと言って実家に
住まわせてもらっていました。

 

 

朝は仕事に行くと見せかけるために決まった時間に家を
出て街を徘徊して家に戻るというのを繰り返していました。

 

 

一時的には解放されたましたが、嘘をついたことの罪悪感、
復帰後は同じことで悩まなければいけない不安が襲って
きます。

 

 

休んでいるのに休んだ気がしない・・・

 

 

復帰しなければいけない日が近づく度、会社の上司に電話
で近況を報告する度に落ち込んでいました。

 

 

まあ、こんな生活が長く続くわけもなくバレる日がやってきます。

 

 

電話の様子がおかしいと感じた会社が携帯ではなく自宅
に連絡したきたのです。

 

 

親父には怒られました。当然ですね。
でも会社に一緒に謝りに行ってくれたのです。

 

 

北海道からわざわざ東京まで来てくれたのです。
会社側は研修センターの長と所属しているグループリーダー
が迎えてくれました。

 

 

リーダーやセンター長からは「なんでだ?期待してたんだぞ?」
と言ってもらえました。

 

 

なぜ嘘をついたのかの経緯を話す時も何とか自分の罪
を軽くしようと嘘の証言をしてしまったのです。

 

 

詳細は控えさせてください。

 

 

センター長からは「正直にいいなさい。懲戒免職になるぞ。それに
お父さんも納得しないぞ?」
と・・・

 

 

その時、親父のビンタが飛んできました。
「この期に及んで、まだ嘘をつくのか!!」

 

 

これで僕も観念して経緯を正直に話しました。

 

 

テストの結果が悪かったこと、調子づいてリーダーにはなった
もののうまくいかなかったことを・・

 

 

「テストなんて、みんな悪かったんだよ。講師だってお前に期待
しているから厳しくしたんだ。実際、お前の評価は高かったんだよ」

 

 

リーダーの落胆しながらの言葉は忘れられません。

 

 

研修といっても実務に就く前の勉強なので本を読んで勉強
していく程度のものです。

 

 

それでバリバリとできるのなんていないんですよね。

 

 

実際、ほとんどが僕と同じような点数だったことを
この時に知りました。

 

 

結局、僕の一人相撲だったのです。

 

 

懲戒免職になってもおかしくない状況でしたが、父と僕が反省文
を書くことで通常の退職にしてくれました。

 

 

帰宅して兄と母に報告したのですが、僕のことを責めることもせ
ずに迎えてくれました。

 

 

親父が「俺が充分に怒っておいたから」と言ってくれ
たからだと思います。

 

 

それ以降は心を入れ替えて、別の会社で真面目
に勤めあげることになります。

 

 

とはなりませんでした。やっぱり苦しくなると逃げる癖がついて
しまっていたのですね。

 

 

会社にこそバレませんでしたが(バレていたのかも)、
体調不良など嘘をついて欠勤して短期で辞めてし
まうこともありました。

 

 

それでも家族は私を見捨てませんでした。

 

 

もちろん怒られはしますが、社会にでたら辛いことはある
怒られるのはお前だけではないと慰めてくれました。

 

 

改善するのにトータルで数年はかかりましたが、20代の後半に
は新人を指導することもできるようになりました。

 

 

それからは順風満帆な会社員生活が待っているのかと思いま
したが、そうはいきませんでした。

 

 

兄が糖尿病で失明するかもしれない状況になってしまったのです。

 

 

彼もいろいろあったようで、短期間に仕事を辞めていること
もありました。

 

 

今度こそ気に入った会社に就職できて、これからという時に
長期入院を余儀なくされたのです。

 

 

会社も退職せざるをえなくなりました。

 

 

しかも動くと角膜が剥がれてしまうため、決まった体制から動け
ない状態なのです。

 

 

転校したてのころ僕をイジメから助けてくれた、嘘をついて会社
を辞めた時に励ましてくれた・・

 

 

その時の強い兄の姿はないように見えました。

 

 

痩せてしまって1日中うつ伏せで寝ているのです。
お見舞いにいっても何もしてあげることはできません。

 

 

しかし、兄はイライラをぶつけることはありませんでした。

 

 

「何回も見舞いに来ることはないぞ」と笑みを見せたのです。

 

 

身体は小さくなってしまって失明するかもしれないという
絶望しかねない状態なのに諦めてはいませんでした。

 

 

車が大好きでそれにかかわる仕事をしていたのに辞め
なければならない、もう2度と運転もできないのに兄は
希望を捨てなかったのです。

 

 

辛い入院生活を耐え抜いて、高倍率の盲学校の先生
の資格を取ってしまったのです。

 

 

結婚していたので義姉の存在も大きかったのでしょう。

 

 

そんな苦難を乗り越えた僕たち家族は10年程度は
安定した生活をします。

 

 

僕も正社員の仕事が決まって、再び東京に行って
途中で何度か転職して契約社員や派遣社員
になりました。

 

 

でも慣れた仕事でしたし、いずれ正社員に戻ろうとい
う目標を持ってやっていましたね。

 

 

ところが40才を迎える直前に母からの電話が会社員で
やっていこうという目標を崩すきっかけとなったのです。

 

 

第4章 父が脳出血で倒れた

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